• ぜんぜん見ていません。朝の3時に起きてまで糞オモロクない馬鹿島・オールスターズ・ジャパンなんてみたかねぇよ。
  • と思ってたら、ブラジル戦の朝は5時過ぎに目が覚め、どうせ0−5ぐらいでボコられてるんやろな〜とTVをつけたら、1−2でしたか。がんがってまつよ代表。
  • お互い一歩も引かない攻防をブラジル相手にやるとは思わなかった。8年前の長居で、まったくナイキが日本に来いって言うから来たんだよって感じで、本気モードのカケラもないロベカルとか炉名独活相手に、文字通り赤子の手をひねられたみたにやられたのがトラウマなんだろな。
  • すばやいパス回しは、馬鹿島サッカーというかジーコ・サッカーの持ち味、そしてナカタ・ナカムラをはじめとして中盤の守備が効いて、ブラジルのスピードを殺している。ナカムラがいる限り、日本に対してフリーキックのチャンスを与えることは脅威である。バランスの許す限り、FWにも大久保のようなアタッカーを置いてもいいんじゃないの?と、早くも欲ボケの声があがったとしても、ジーコの大将は簡単には首を縦に振ることもないだろう。それはそれでいいことだ。
  • 代表は進化し続けている。ということは否定しようがない、確実なことだ。それは、決して右肩上がりではなく、スパイラル・イメージに試行錯誤を繰り返しながら、そして着実に選手主体となるように浸透している。
  • トルシエ時代には、選手にはほとんど認められなかった自由を、ジーコは覆した。それまで、モダンサッカーの命題のもとに、ロボットのように言われるままに行動をせざるを得なかったプレーヤーは、一見時計のネジを逆に回したかのように評されるラインの低いサッカーのもとで、それだからこそ自分たちの意思で表現できるチャンスを与えられている。自己表現は世界中のサッカーを見れば至極当然のテーマなのだが、今でも日本の選手たちは戸惑いを隠せない。
  • 贅沢な楽器を与えられたところで、表現する技法を自分でコントロールできなければ、結果的に観ているものを退屈させるだけだ。そんな演奏会に喜んで行くのは演奏者の親戚縁者や追っかけぐらいのものだろう。手に汗を握るような演奏を聴きたいのではなく、自分の知り合いが一生懸命楽器を弾いてるから、下手糞だけど、しゃあなしに行ってるだけだ。そんな程度の認識じゃ、いつまでたっても世界の壁とか言ってる間に1年が過ぎる。結局同じことの繰り返しでドイツでの日本は終わる。と思っていたし、今でも思っている。
  • 今回は、ナカタ・ナカムラといった世界レベルで金のとれるプロのプレーヤーがいたこともあり、ジーコに恩返しするべくベストメンバー(たとえ前線だけにしても)で挑んできた伯剌西爾選抜のおかげもあり、日本にとって予想以上の好ゲームとなったが、逆に言えばこれら一つでも要素を欠いたとすれば、両国にとって悲惨な戦いが繰り広げられたであろう可能性も十分あった。
  • 今回の日本代表が体験したコンフェデの一戦はどちらかといえば偶然の産物であり、それより先ほど行われた独逸との一戦のほうが、サッカーの神様が望んだ必然といってもいい。だからこそ、偶然を必然に近づけていけるように、全日本選抜だけでなく、あらゆる選手たちに、さらに成長していってほしいと願うわけです。